確か小6…
2007年 08月 27日
友達と喋っていたときにカワイイ女の子がこういう質問を僕に投げかけてきた。
なぁ、最近泣いたのいつ?
うぅん、いつから泣いてないやろなと考えながら、記憶の片隅をたどっていくと答えがわかった。
そう、最後に泣いたのは小6の頃やわ…
それを女の子に言うとヒクと思ったのだが、反対に関心されてびっくりした。
ほかの人に聞いても、恋愛関係とかで泣いてるというのである。
まぁ、僕には考えられないが…
でも、自分が最後に泣いたシーンというのは、なぜか10年近くたった今でも鮮明に憶えている。
僕は、その当時、少年野球に勤しんでいて最低でも週に5回は練習のある、まるで高校野球のようなスパルタに近い野球のチームであった。
夏場になると、毎日8時前まで練習があり、土日には練習試合を1日3試合をこなし、自分の小学生のころの思い出というのは野球をしていたことくらいしか記憶にない。
アホみたいに多いランニングの量、アホみたいに長い守備練習、アホみたいに監督から浴びせられる罵声、それを考えると放課後の野球の時間が近づくにつれて、憂鬱になっていく自分がいた。
たぶん、自分の野球への情熱というのは、もうこの時期からなくなっていたのかもしれない…
そんな嫌でしょうがなかった少年野球も最後の大会、県大会をむかえたのである。
この年のチームはほとんどの6年生が4年の頃からレギュラーをはっていた黄金チームと呼ばれ、勝率は8割を超えていたのである。
今思うとほとんど負けたという記憶がない。
それほど強いチームであった。
郡大会でも順当に僕達は勝ちあがり、少年野球皆の集大成である県大会の出場権を得て、その県大会でも準決勝まで進出したのだが、その年の優勝チームに打ち負け、コールド負けをきっした。
これで近畿大会の出場権もなくなり、失意のまま3位決定戦に臨んだのであった。
まぁ、そのときは、皆、近畿大会には出ることはできないがまだ試合が残っているのだから、最後までやり抜こうと考えていたこともあって、誰も泣いている人間はいなかったように思う。
僕もそのときは少しへこんでいたが、まだ涙を見せていなかった。
そして、3位決定戦が始まり、僕達のチームは初回から打ちまくり、5回までに9-2という大差をつけてリードしていた。
4番を打つ僕の打撃もその日は冴えにさえ、1ホーマーを含む2安打3打点という4番としての役割を果たす事ができていた。
そして、5回に自分の最終打席がまわってきた。
ランナーが塁上に2人いる状況であった。
僕は監督のサインを見ると、打っていけというサイン。
僕は初球から、得意のフルスイングで長打を狙っていくことに。
その日神がかっていた僕の打撃は、その打席でもまだ続いていた。
初球をフルスイングすると、ボールはセンターの頭を越え、グラウンドの端まで転がっていた。
ここで僕はホームランを確信して、ダイヤモンドをガッツポーズをしながら回っていると、これまでの辛い練習とか監督に殴られたこととかを思い出すと同時に目から涙が溢れてきた…
そして、涙で潤んだ目をしながら、ホームベースを踏み、ベンチに帰ると、普段から怒ってばかりで、ほとんど褒めたことのない監督が
ガリラ、ナイスバッティング!
今までようがんばったのう!
と言い、監督が手を差し出し、握手を求めてきたのである!
僕はビックリしながらも握手をしてから、ありがとうございます!と言おうと監督の顔を見ると監督の目から涙が溢れていたのである。
これまで堪えていた感情が抑えられなくなり、大量の涙が目からこぼれ落ちたのであった。
少年野球通算22本目のホームランは人生の中でも一生忘れる事のできない最高の思い出として今でも心の中に刻み込まれているのである。
<終了>
こんな自分にもこういう時代があったんだな。
僕はいつからだろうか?こういう感情が消えてしまったのは。
僕はこのことを思い出すと今の自分を少し虚しく思うのである…
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なぁ、最近泣いたのいつ?
うぅん、いつから泣いてないやろなと考えながら、記憶の片隅をたどっていくと答えがわかった。
そう、最後に泣いたのは小6の頃やわ…
それを女の子に言うとヒクと思ったのだが、反対に関心されてびっくりした。
ほかの人に聞いても、恋愛関係とかで泣いてるというのである。
まぁ、僕には考えられないが…
でも、自分が最後に泣いたシーンというのは、なぜか10年近くたった今でも鮮明に憶えている。
僕は、その当時、少年野球に勤しんでいて最低でも週に5回は練習のある、まるで高校野球のようなスパルタに近い野球のチームであった。
夏場になると、毎日8時前まで練習があり、土日には練習試合を1日3試合をこなし、自分の小学生のころの思い出というのは野球をしていたことくらいしか記憶にない。
アホみたいに多いランニングの量、アホみたいに長い守備練習、アホみたいに監督から浴びせられる罵声、それを考えると放課後の野球の時間が近づくにつれて、憂鬱になっていく自分がいた。
たぶん、自分の野球への情熱というのは、もうこの時期からなくなっていたのかもしれない…
そんな嫌でしょうがなかった少年野球も最後の大会、県大会をむかえたのである。
この年のチームはほとんどの6年生が4年の頃からレギュラーをはっていた黄金チームと呼ばれ、勝率は8割を超えていたのである。
今思うとほとんど負けたという記憶がない。
それほど強いチームであった。
郡大会でも順当に僕達は勝ちあがり、少年野球皆の集大成である県大会の出場権を得て、その県大会でも準決勝まで進出したのだが、その年の優勝チームに打ち負け、コールド負けをきっした。
これで近畿大会の出場権もなくなり、失意のまま3位決定戦に臨んだのであった。
まぁ、そのときは、皆、近畿大会には出ることはできないがまだ試合が残っているのだから、最後までやり抜こうと考えていたこともあって、誰も泣いている人間はいなかったように思う。
僕もそのときは少しへこんでいたが、まだ涙を見せていなかった。
そして、3位決定戦が始まり、僕達のチームは初回から打ちまくり、5回までに9-2という大差をつけてリードしていた。
4番を打つ僕の打撃もその日は冴えにさえ、1ホーマーを含む2安打3打点という4番としての役割を果たす事ができていた。
そして、5回に自分の最終打席がまわってきた。
ランナーが塁上に2人いる状況であった。
僕は監督のサインを見ると、打っていけというサイン。
僕は初球から、得意のフルスイングで長打を狙っていくことに。
その日神がかっていた僕の打撃は、その打席でもまだ続いていた。
初球をフルスイングすると、ボールはセンターの頭を越え、グラウンドの端まで転がっていた。
ここで僕はホームランを確信して、ダイヤモンドをガッツポーズをしながら回っていると、これまでの辛い練習とか監督に殴られたこととかを思い出すと同時に目から涙が溢れてきた…
そして、涙で潤んだ目をしながら、ホームベースを踏み、ベンチに帰ると、普段から怒ってばかりで、ほとんど褒めたことのない監督が
ガリラ、ナイスバッティング!
今までようがんばったのう!
と言い、監督が手を差し出し、握手を求めてきたのである!
僕はビックリしながらも握手をしてから、ありがとうございます!と言おうと監督の顔を見ると監督の目から涙が溢れていたのである。
これまで堪えていた感情が抑えられなくなり、大量の涙が目からこぼれ落ちたのであった。
少年野球通算22本目のホームランは人生の中でも一生忘れる事のできない最高の思い出として今でも心の中に刻み込まれているのである。
<終了>
こんな自分にもこういう時代があったんだな。
僕はいつからだろうか?こういう感情が消えてしまったのは。
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by garira-sann | 2007-08-27 06:37 | 思い出